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  • 2025年02月発行

    三笠産業メールマガジン Vol.193 令和七年神田明神節分祭、初午祭、第32回社員海外視察旅行

    三笠の京谷です。


    現在渦中の会社となっているフジテレビは嘗て「楽しくなければテレビじゃない」
    という言葉で一世を風靡しました。


    そして今、石破茂首相は施政方針演説に於いて目指す国家像として
    「楽しい日本」という言葉を掲げました。


    うーん。私はどうもこの「楽しい日本」という言葉に違和感を感じてしまいます。


    観光庁のキャッチフレーズならまだしも、裏金問題など難題を抱える首相が
    国民に語りかける言葉としては少々呑気過ぎる気がするのです。


    そもそも石破首相ほど「楽しい」という言葉が似合わない人もいないでしょう。
    また楽しいという感情は個人個人が感じるもので国家のあるべき姿として
    掲げる言葉ではない気がします。


    埼玉県八潮市の道路陥没事故を見るまでもなく、今の日本は
    老朽化したインフラの整備が待ったなしです。


    嘗て日本が目指した「強い日本」「豊かな日本」に続く言葉として
    今選ぶとすれば「安心・安全な日本」が最もふさわしいと思います。
    この言葉であれば国民も共感できるし、日本を訪れる外国人からも
    理解を得られるでしょう。
    本当に言葉選びは難しいものです。


    今月も三笠をよろしくお願いいたします。


    代表取締役社長 京谷 弘也

    三笠通信

    令和七年神田明神節分祭

     2月3日(月)、三笠産業本社の氏神様である神田明神にて、今年も節分祭が催されました。

     当日の天気は曇り。少し早めに会場入りした際はさほど混んでおりませんでしたが、その後徐々に人が集まり、開始時刻の14時には昨年と同じくらいの賑わいとなりました。


    vol193-1a.jpg神田明神 御神殿と 福豆(くじ付き)を求め集まる人々


     節分祭は今年も疫鬼や疫神を払う神事「追儺の儀(ついなのぎ)」から始まりました。

     2021年より行われ今回で五回目。コロナ禍は落ち着いてきたものの、インフルエンザなどの病気や災害の心配が続く今日、この神事は欠かせなくなっているようです。

     続いて邪気払いの「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」が行われ、その後豆撒きが始まりました。


    vol193-1b.jpg追儺の儀


    vol193-1c.jpg鳴弦の儀


     今年5月に襲名披露公演を行う、歌舞伎の八代目尾上菊五郎さん、六代目尾上菊之助さんが親子で豆撒きに参加され、会場を湧かせました。


    vol193-1d.jpg八代目尾上菊五郎さん、六代目尾上菊之助さん親子


     落語家でタレントの立川志の輔師匠が今年は門下の晴の輔真打と共にご登場されました。


    vol193-1e.jpg立川志の輔師匠、立川晴の輔真打


     狂言の和泉元彌ご一家が今年も参加され、プロレスラーの井上貴子さん、神取忍さんも昨年に続いて登場されました。


    vol193-1f.jpg和泉元彌さんご一家


    vol193-1g.jpg井上貴子さん、神取忍さん


     また、SNS総フォロワー数150万人超えのダンス集団「O-MENZ」が登場。各メンバーがこの場に立つ喜びや今後の抱負などを語られ、鬼と一緒になって豆を撒かれました。


    vol193-1h.jpg和のお面が会場にマッチしていた「O-MENZ」


     当社からは管理本部 越後本部長が、今年も来場された方々に心を込めて豆を撒きました。


    vol193-1i.jpg皆様に福が届きますように


     神田明神節分祭は今年も穏やかな雰囲気の中、無事終了しました。私は終始写真を撮ってばかりでしたが、神聖な場所に長くいたので少しはご利益があるかも、などと考えました。罰が当たりそうです。


    編集室 蝦夷の申 記


    令和七年初午祭

     本社屋上を始め各地に設置された稲荷社へ商売繁盛を祈願する当社の伝統行事、初午祭。今年は初午にあたる2月6日(木)に執り行われました。


     当日は気持ちの良い晴天に恵まれ、うららかな日差しの中にも2月初旬の肌寒さが身を引き締める、神聖な行事に相応しい空気です。担当社員が朝から会場設営を行い、神様への祈願準備を進めました。


    vol193-2a.jpg準備が整いました


     初午祭の式典は午後三時に開式。神田明神からお越しいただいた神官による祝詞に始まり、代表者による玉串奉奠、結びの御神酒拝戴を経て、滞りなく納まりました。


    vol193-2b.jpg


    vol193-2c.jpg藤岡常務以下参列役員一同、商売繁盛を願い御神酒拝戴


     今年の初午祭は海外を含めたイベントや業務と日程が重なったこともあり、残念ながら多くの役員・社員の参列が叶いませんでしたが、その分まで在席社員一同が協力し合い無事に行事を執り行う事ができました。神様のご加護を得て気持ちを新たに一年間がんばりますので、令和七年も三笠産業をよろしくお願いいたします。


    編集室 蝦夷の申 記


    第32回社員海外視察旅行

     「アッサラーム・アライクム」、一度は耳にしたことがあるかも知れませんが、アラブ圏で使われている挨拶です。 「あなた(がた)の上に平安がありますように」という意味が込められているのだそうですが、 今回はそんな素敵な挨拶をする国の一つ、エジプトに弊社の10年旅行として佐々木、牛島と訪れたエピソードについてお話したいと思います。


     言わずと知れた3大ピラミッドから旅は始まります。


     今から約5,000年前に成立した古代エジプト王朝は、最初の統一国家の王ナルメルからクレオパトラ7世の治世に至るまで3,000年もの間続きました。
     100mを超えるピラミッドが建てられた時、日本は何をしていたかというと竪穴住居に住み土器を作っていた縄文時代でした。その時代に、古代エジプト人たちは現代の40階建てのビルに相当する巨大な建造物を造り上げたのですからその技術がいかに偉大であったか想像に難くないですね。


    vol193-3a.jpg

    夢にまでみたピラミッド


     私たちはエジプトへ訪れる前に本やYouTubeを通して前知識を入れてきたはずでしたが、実際「それ」に対峙した時、あまりの迫力に圧倒され言葉で表すことができませんでした。 周りが不毛な砂漠であるため、その巨大さが余計際立ち、突如として現れた3つのおかしな物体のようにも見えました。
     その中で一番大きな物体(クフ王のピラミッド)の内部に入り、狭くて蒸し暑く変なにおいが漂う回廊を、中腰になりながら汗だくで進んでいくと「王の間」と呼ばれる部屋にたどり着きます。部屋はそれほど広くなく、奥の方に石の棺がぽつんと置かれていました。煌びやかな装飾は一つもなくひどく殺風景で、暗く、静かな部屋でした。
     私たちの他にも何人かの観光客がいたので、その空間の存在感を感じ取るには少々雑音が多かったのですが、そこにひとり佇んでいると、重たい空気に飲み込まれ、そのまま宇宙の果てに連れてかれるのではないかという怖さを感じました。そこだけ時間の概念がないような、世界から切り離された感じがしたのです。
     これは外から見上げただけでは分からない感覚だと思います。内部のここでしか得られないものであり、ピラミッドの巨大さや神秘性を体全体で味わうことができました。


    vol193-3b.jpgイケメンバックパッカーに撮ってもらった一コマ
    (ピラミッド内部)


     私たちはエジプトに降臨、いや降り立ち、ピラミッドの壮大さに心を奪われたのですが、その前日にはお腹の不調という現実にも直面しました……
     牛島さんがお腹を壊してしまったのです。もしかしたらランチでオーダーしたマンゴージュースに水道水が混ざっていたのかも知れません。
     夜通し何度もトイレを往復しながら激しい腹痛に耐えていたそうですが、同室だった佐々木さんはそれに一切気が付くことなく、ぐ~すか寝ていたのだそうです。
     明くる日、朝食会場に姿を現さない牛島さんが気になっていたところ、佐々木さんが上記の内容を話してくれました。
     「僕、寝ていたから全然気が付きませんでした」と平然と言う彼に対し「そうだったんだ」とは言ったものの心の中では『おいおい同僚が苦しんでいたのに寝てたのか~い!』と、ちょっと意地悪にもそう思ってしまった自分がいました。
     (その後、自称腹痛のプロ佐々木さんは牛島さんをいつでも気遣い十分なサポートしていました!)
     腹下し時の悶絶級の腹痛とトイレでの格闘は自分自身との闘いなんですよね……
     他人が傍にいて「大丈夫?」と言ったところで当人は脂汗をかきながら腹痛と闘っているわけです。当然大丈夫ではないんですよね。
     牛島さん、本当にお疲れさまでした。次の日のピラミッドが観に行けるほど回復できて心から良かったと思います。


    vol193-3c.jpg闘いを終えた牛島さん


     さて、エジプト旅行で欠かせない観光地のもう一つとはアブ・シンベル神殿ではないでしょうか。アブ・シンベルにはカイロからアスワンへ飛び、 そこからバスで3時間、まさに砂漠の旅でした。どこまでも続く砂の風景は、まるで別の惑星にいるかのような錯覚を起こしました。そんな荒涼とした景色の中、 突然緑色の畑が現れたのです。そのコントラストの異様さを不思議な気持ちで眺めていました。これはアスワン・ハイ・ダムが建造され、人口湖(ナセル湖)が出来たことで 各地に水が引けるようになり小麦を始めとした農作物が収穫できるようになったそうです。砂漠の中でもナイル川の恵みを感じることができる光景でした。バスの窓から眺める景色は、 時間の流れを忘れさせるほど雄大で、アブ・シンベル神殿への期待感を高めてくれました。


    vol193-3d.jpg砂漠


     ところで、今回のエジプトツアーを決めるにあたり、絶対に外せなかったポイントがあります。それはアブ・シンベルに一泊して神殿の夜と朝の2つの姿を見ることにありました。
     一般的には日帰りツアーで訪れる人が多い中、私たちはそこで一泊する事が絶対条件だったのです。


     楽しみにしていたアブ・シンベル神殿は見ると聞くとは大違いでした。
     大神殿の正面は4体の巨大なラムセス2世が並んでいて息をのむほどの迫力です。男性的なエネルギーとでも言ったらよいのか、強くて荒々しい空気感が漂い、胸がざわざわするような感覚を味わいました。内部に入ると壁一面に広がるレリーフの数に圧倒されました。レリーフにはラムセス2世の戦いや自らを神格化していく様子が描かれています。
     特に印象に残ったのはラムセス2世が戦車に乗って敵を打ち破る場面「カデシュの戦い」を描いたレリーフです。自身をこれでもかという程デカデカと描き、勇ましさや力強さを表現しているようでした。まるで勝利したかのような描き方だったので『でもこの戦い、引き分けだったじゃん!』と心の中で突っ込みを入れながら眺めていました(この戦いの数年後、両国間で世界初の和平条約が結ばれました)。
     一方、小神殿は王妃ネフェルタリのために造られた愛の神殿です。
     大神殿のラムセスラムセスした空間とは打って変わり内部は優美で繊細な装飾が施されていました。優しい気持ちになりながら美しいレリーフを楽しみ、そろそろ出ようと出口付近へ向かったところ左の壁面にそれはいました。大神殿でも描かれていた戦いの様子がまたしても現れたのです。『ラムセスさん、もういいって!』と思ったのですが、彼の心の内が少し見られたようでクスッと笑ってしまいました。


    vol193-3e.jpgアブ・シンベル神殿(夜のライトアップ)


    vol193-3f.jpgカデシュの戦い


     さあ、エジプト旅行はまだまだ続きます。
     この時点で内容を省きつつ旅程はまだ半分、この後、数々の神殿を巡るのですが、1つ1つ書いていくと膨大な量となり読んでくださる皆さんを疲れさせてしまいますので、とりあえず、あの有名なツタンカーメンの話をして終わりにしたいと思います。


     ツタンカーメンを拝みたいならばルクソール西岸にある王家の谷、そしてカイロにある考古学博物館へ訪れるのが良いと思います。王家の谷は「古代都市テーベとその墓地遺跡」の構成資産の一つです。エジプト新王国時代のファラオたちの集団墓地のようなもので、墓所とは別に葬祭殿も建造されており、副葬品は盗掘されたものの、美しい壁画などを見ることができます。
     ツタンカーメンは1922年にハワード・カーターにより未盗掘の状態で墓が見つかったことにより、現代において一躍有名人となりました。その副葬品の一部は、考古学博物館で見る事ができるのです。 最大の呼び物である黄金のマスクを間近で見たのですが、ただ煌びやかなだけではなく気品と威厳を感じさせるものでした。細やかな装飾が施された数々の副葬品も、見応えのあるものばかりでした。 ツタンカーメンは歴史から抹殺されていたために、盗掘を免れることができたそうですが、逆に言えば、歴代の有力なファラオ達の副葬品は、ツタンカーメン以上に豪勢だったはずです。ファラオの富と権力の絶大さを、 ツタンカーメンのマスクが控えめに伝えているのだとしたら、あのラムセス2世やその父親であるセティ1世のものとなったらどのような副葬品があったのか想像を膨らませただけで目眩を起こしそうになりました。


    vol193-3g.jpgツタンカーメンの王墓


     華麗な黄金マスクと対照的だったのが、もうひとつの呼び物であるファラオのミイラでした。 ひやりと肌寒い展示室に置かれたガラスケースの中に何体ものミイラが並んでいたのですが、それらはどれも無機質で同じに思えてしまいました。一方、数千年前の人間と同じ空間にいることを神秘的に感じたり、瞼を閉じている姿はただ眠っているだけで今にも目を開けるのではないかと畏怖の念を抱いたりしている人もいました。


     そもそもなぜ彼らはミイラを作り、墓に神々の壁画を描きレリーフを掘ったのか……、それは「死」を乗り越えるための死生観に基づくものでした。彼らは「死」は終わりではなく、永遠の命へと続く通過点だと考えていました。その為、死後の世界で不自由なく暮らせるように様々な準備を行ったのです。
     中でもその様子が克明に描かれているのが王家の谷の中でも最大級の規模を誇るセティ1世の墓です。死者はミイラとなった元の肉体へ戻るため、様々な試練を乗り越えて最後に冥界の神・オシリスの審判を受けます。ここで生前の行いを告白し、心臓とマアトの羽を天秤にかけられるのですが、天秤が心臓の方に傾くとその人は生前に罪を犯したという証となり復活はできないのだそうです。
     様々な試練を乗り越えても最後に心臓が重かったら台無しになるのですね。


    vol193-3h.jpg

    セティ1世の王墓


     どんなに偉業を成し遂げても素晴らしい活躍をしても、ミイラとなったそれを間近で見て、死んでしまえばみんな同じいう粛然たる事実がそこにあるような気がしました。死後の世界は想像の内でしかなく、今なお生きる私たちでさえ様々な考え方があるものの答えは見つかっていません。しかしながら彼らはミイラとなり、墓をつくり煌びやかな葬祭殿をつくりました。数々の神殿は今もキレイな形で残り、私たちを魅了してくれます。それは時を超え、彼らは確かに存在していたという証となり私たちの心に静かに刻まれていきます。


     彼らが復活を遂げられたのか確認することはできませんが、少なくとも私の心の中で彼らが生きた姿を思うことができます。


    vol193-3i.jpg墓泥棒あらわる!


     クルーズ船に揺られ、ナイル川のほとりをぼんやりと眺めていました……
     私たちはジンを飲みながら心の内を明かし、互いに感心したり共感しあったりしました。
     お酒の力がそうさせたのか、はたまたエジプトの壮大な歴史の中に身を置くことで、ほんの点のような一瞬を色濃く過ごしたかったのか……
     私たちもまたそれぞれの死生観を持ち、人生を出来るだけ楽しく過ごそうと互いに誓ったのでした。


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    vol193-3k.jpg w.jpg vol193-3l.jpg


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     エジプトは何といったらよいか分かりませんが、向こうから呼ばれていく場所のような気がします。
     何かピンとくるものがありましたら、是非エジプトを訪れてみてください。

     きっと心にグッとくるものがあるはずです。


    技術本部付 松本 記

    編集室より

    先日の都内も寒かった日。
    北海道帯広市近郊の町で教師をしている友人からメッセージが。


    "雪で休校。街中も麻痺状態。車道に出る時左右が見えん。1日6回雪かきした"


    ニュースで知ってはおりましたが、このメッセージで実感が湧きました。
    車道脇に雪が堆く積み上がり、ドカ雪と格闘する様が目に浮かびます。


    皆様、どうかお気を付けて。


    【 編集者 蝦夷の申 】